德浦鎭

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史跡第202号(1970年5月26日)

所在地:金浦市章陵路79(豊舞洞)
時代:朝鮮
章陵は朝鮮16代仁祖(1623~1649)の生父の元宗とその妃の仁献王后具氏の陵です。 元宗は宣祖の五男の定遠君で容貌がきわだっており態度が慎重で、孝行心と友情の厚さが格別だったため宣祖から愛されました。

史跡第202号1 史跡第202号2

定遠君は最初は楊州郡の谷村里に葬られました。長男の綾陽君(仁祖)が仁祖反正で光海君を廃位させ王位につくと、定遠君は大院君に叙せられ、墓が園に追崇され興慶園となりました。 1627年仁祖は定遠君の墓を金浦県の城山の丘に遷葬し、1632年に再び王に追尊され墓号を元宗、陵号を章陵としました。 仁献王后は息子(仁祖)が即位すると連珠府夫人になり、宮号を啓雲宮としました。 1626年に49歳で他界すると、金浦の城山の丘に礼装され、園号を毓慶園としました。 弘慶院をここに再び遷葬し、園号を合わせて弘慶園と名付けました。 陵の規模と規格は朝鮮中期の典型的なもので、陵の下には祭祀を行う斉室があります。朝鮮21代の英祖、22代の正祖が毎年行幸して祭祀を行った建物で、陵の周りは公園のように造成されています。 ソウルからの交通の便が良く、休日には多くのピクニック客で賑わいます。